【吉田恭平のスタンドプレイ 第10回】イタリアトライアウト-ミラノ編その3

1日目の練習を終えミラノ市内のホテルに帰ったあと、夕食を食べに市内のレストランへ。注文を済ませ店内を見渡すと、レストラン内のTVでコッパ・イタリア決勝が放送されていた。

「ACミラン対ユベントス」の一戦。

ACミランでは本田圭佑選手が背番号10を背負いプレー。何故だか分からないが、日本で試合を観る時よりも活躍を期待してしまう自分がいた。これがナショナリズムというものだろうか。とはいえ、明日は自分の試合。夕食を済ませたら、すぐホテルへ。寝支度を済ませ、早めにベッドに入った。だが、コッパイタリアの余韻だろうか。まだ目が冴えている。その時にふと思った。

「そもそもなんでビーチサッカー始めたんだっけ?」

「サッカーはどうだったかな?」

1番深い記憶を辿っていくと、中学入学当時に突き当たった。

サッカーの分岐点

中学校入学当時、12歳。提出締め切りが迫る、部活の入部届けを前にペンが止まる。

「続けてもしょうがねえよな」

「好きでもないことやってもな」

「そもそも楽しくねーし」

悩んでいた。サッカーを辞めるか、続けるか。

サッカーを始めたのは4歳の頃。友達と一緒にボールを蹴って「遊んでいた」。
小学生になると地元のJリーグチームのサッカーチームへ入った。週に3回もサッカーの練習があった。…3回も。試合を含めれば4回〜5回にもなる。…なんてこった。

僕はサッカーが嫌いだった。
サッカーも僕の事が嫌いだったようだ。

リフティングは小学6年生時点で最高9回しか出来なかったし、インサイドパスもまともに蹴れなかった。(真剣に練習した事は一度も無かったから今思えば当然なのだが)

一言で表現すれば「下手くそ」。

練習試合の時は、リュックの中にユニフォームと私服を入れ「行ってきまーす!」と家を出発すると、すぐに建物の陰に隠れて私服に着替えてそのまま友達の家に遊びに行くほどサッカーに興味がない子供だった。
そんな調子のまま中学へ入学。

サッカーが嫌いでサッカー下手くそな12歳。何を悩む事がある?サッカーなんて辞めればいい!野球部・バスケ部…他にも楽しそうな事は沢山あるだろう?
たかが部活じゃないか。たかがスポーツじゃないか。たかがスポーツ。

たかがスポーツ…だぞ?

それに俺は下手くそだし。リフティング最高9回だし。
辞める理由なんて腐る程あった。
でも、サッカーにこだわる、こだわらなきゃいけない大きな理由があった。

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